タイでインラックチナワットさんが首相に選ばれました。後ろ盾はもちろんタクシンチナワット。ただ、他の国の政治状況と違い、この国の政治は非常に複雑なパワーバランスで成り立っていて、調べれば調べるほど、何が要因だかわかりにくくなります。従って、一つ一つの角度について記載することにします。
1)警察 対 陸軍
国内で武器を堂々と持てる組織は警察と陸軍。陸軍は1992年まで軍事政権といってよい強力な影響力を政治に発揮していました。当然戦車などの武器を警察が持っているわけではないので、正面から戦うと警察は負けますが、小競り合いやデモ、暴動などの方法の中では十分にその影響力を発揮できます。チナワットは警察出身。といっても、おそらく警察内部での影響力を上げるために入ったのでしょう。
ちなみに警察はベトナム戦争やカンボジア紛争で、共産主義の防波堤として、アメリカCIAから莫大な支援を受けてきた経緯があります。タクシンもアメリカでの大学修士課程をわずか数ヶ月で修了しています。
陸軍ももちろん自由主義陣営の中でアメリカとは距離は近く、戦車などもアメリカ製が多いです。(中国製もありますが。) ちなみに海軍の方がアメリカとは距離が近いですが、海軍は政治への影響力をなくしています。海軍は陸では弱いし、海兵隊はあるのですが、ちょっと違うのでしょう..。
2)客家人
チナワットは中国名 ”丘達新”。中国系客家人。客家人は中国のユダヤ人と呼ばれていて、華人から迫害される中で海外に出て行き、アジアの華僑社会で大きな影響力を持つようになった民族です。また、客家人は、中国では鄧小平、台湾では李登輝、シンガポールはリークアンユーという著名な政治家を産み出しました。彼らの政治姿勢に共通するのは国境のない自由な貿易活動を目指すということです。タクシン氏の通信事業での成功やシンガポールへの莫大な額の売却など、客家社会が背景にあったことがうかがえます。
客家人は自由な経済活動を目指すため政治にも影響力を発揮しようとします。まさにユダヤ人と同じです。シンガポールは国家そのものを中国人が抑えてますが、マレーシア、インドネシアでも様々な影響力を発揮しています。タイは、過去中国人国家(タークシン王朝1734年-タクシンとは関係ない)があったくらいですから、再びそういう影響力を発揮しようと客家人が考えてもおかしくありません。
このことから王政に対しては、どちらかというと賛成姿勢ではないと思われます。
(右写真:今もある客家人の住居:福建省)
3)王室
今の王ラーマ9世(右写真)は上記タークシン王を殺したラーマ1世の子孫で、もちろんタイ人です。日本と関係が深かったラーマ8世は1946年、銃の暴発事故?(眉間を貫いている)でなくなり、現在のラーマ9世が誕生しています。当時日本とアメリカ、イギリスは敵国ですから、ラーマ9世誕生の背後にアメリカやイギリスの影があるのでしょう。
その王政も実態は1992年までは陸軍が実質支配する軍事政権で、戦前の一時期の日本の状況そっくりでした。1992年の選挙からは、制度的にも表面的には立憲民主主義国家になっていますが、まだまだ陸軍の影響力は非常に大きいです。
4)都市中間層 VS.田舎の貧困層
タイの東北部イーサーン地方は、北はラオス、南はカンボジアにはさまれる地域。バンコク、アユタヤ、プーケットと有名なタイの地名とはまったく関係のない、高台にある貧しい地域です。タクシンはここにお金をばら撒き、警察組織を駆使し、表を集めました。
この手法は、お金をばら撒き郵便局を基盤にした組織を構築した田中角栄の手法とそっくりです。
この選挙基盤は磐石で、2011年の選挙でも、圧勝しています。(右図:タクシン出身のアユタヤと、東北部イーサーンが基盤であることが明らか)
5)黄シャツ-民主市民連合
2006年、軍部、中間層を背景に、デモを起こし、タクシン派を追いやった市民連合。ただ、その背景にはチャムロン氏(清貧の政治家)がいると言われています。チャムロン氏は、1992年にデモを起こし、民主政治を推進した政治家(元バンコク知事)で、その際は国王の聖断で和解しています。したがって、軍事政権には反対だった人が、タクシンの台頭で、タクシンによる政治にはもっと反対、という立場なのだと思います。
6)アメリカ(イギリス)
親米の王政国家はアメリカ(特に軍産複合体)にとっては最大の魅力。それはアラブの王政国家との関係で明らかです。ただ、ベトナムが自由主義化していく中で、タイの存在価値、すなわち、軍事的位置づけはアメリカにとって過去ほど重要でなく、ミャンマーや、ベトナムと並ぶ位置づけになっているのだと思います。
また、CIAのタイ警察への支援。タクシンは警察出身で、2度にわたりアメリカに警察幹部として留学しています。アメリカのこの筋との関係も微妙です。
それがタクシンに対するアメリカ(イギリス)の曖昧な立場になって現れています。タクシンの亡命生活はニューヨーク、ロンドン、ドバイ。ロンドンでは、イギリスはビザの延期を断っています。
7)中国
タクシンが中華系であること、またタクシンが支援組織を中国に持っていること、赤シャツのイメージ、反王政のイメージ、ネパールにおけるMaoistによる王政転覆、などから、タクシンは中国の手先、という意見も目にしますが、必ずしもそんな単純な背景ではないと思います。
軍隊(政敵)とアメリカが近ければ、それを牽制するのに中国と近づくこともあるでしょう。田中派が一貫して行ってきた手法でもあります。また、反王政は流浪の民の自然な心理だと思います。
ただ、中国は逆にタクシン政権をタイへの介入のチャンスと思い強力に影響力を発揮してくると思われます。ベトナムと関係が悪化している中、タイとの友好関係はかなり大きな武器になります。ミャンマー、タイを押さえると、インド、アメリカの包囲網に対抗でき、インド洋への展開もかなりやりやすくなります。その意味では、アメリカにとってはかなり危険な状態と言えます。
8)日本
タイ王室とは伝統的に友好。ラーマ9世もアメリカの後押しで当時の日本には反対の立場の人でしたが、その後日本が親米政権になり友好。タクシン政権時代も外資系では圧倒的な存在力を持つ日本企業に対しても特に大きな混乱は見られませんでした。
アユタヤ王朝時代、中国人、ポルトガル人、日本人(江戸初期、戦国浪人たちが多く移民している)を政権に取り入れ、巧みに対立させることで、外交を操った歴史を例にとり、タイ人の外交の巧みさをほめる意見も多いです。
今のタイにとっては、アメリカ、中国の影響のバランスをたくみに動かせるカードに日本はなるのでしょう。
日本にとってタイはトップクラスの親日国、かつ、仏教国。経済の結びつきも強く、どうしても友好国でいたいという感情が先にたつのかも知れません。それがタクシンへの微妙な反応になって現れています。