ミャンマーで一般的に日本人が思い浮かべることは、おそらく、「軍事政権」「アウンサンスーチー」「インパール作戦」「ビルマの竪琴」などかと思います。しかし、私も含め、それらのつながりについて、深く考える機会が少ないのではと思います。実際調べてみると、それらの事柄は深くつながっていることに気付きました。そして、欧米と日本に流れるニュースの角度の違いも明らかになりました。
<地理、民族と歴史>
まず、ミャンマーの地理と民族を見てみます。
右図は地理を表しています。首都ヤンゴン(ラングーン)から北に向かって平野が広がっており、そこに同国最大のビルマ族が住んでいます。さらに左図には行政区画が載っていますが、左の数字であらわされている地区は中央区といって主にビルマ族が住んでいる地域、残りのアルファベットの地区は少数民族が住んでいる地区です。ビルマ族が平野、少数民族が山岳に住んでいることが一目わかります。
歴史を見てみましょう。
まず欧米とビルマの関係です。イギリスはビルマと3度の戦争の上、ビルマ全土を獲得しています。特にカレン族などが住むタイとの国境地域は早くから占領し、そして今に続くAnglo-Burmeseという混血の子孫を生みだしました。彼らはイギリスのビルマ支配のインド人などと共に中心になります。ビルマ人はその下に虐げられたことになります。さらにこの時期プロテスタントの一派であるバプティスト教会がカレン族を中心に普及活動を行います。ビルマ族は仏教徒で普及が困難でしたが、カレン族は土着信教であったため普及も早かったのです。ちなみに、バプティスト教はイギリスとアメリカに信者が多くいる宗教です。
次にビルマと日本の関係を見てみます。1940年代に入り、ビルマに民族独立の運動が広がります。その中心人物は、アウンサン将軍-アンサンスーチンさんの父親です。また、その仲間に後軍事政権を作り、1962年以降実権を握るネ.ウィン将軍もいました。彼ら一行30人は、独立支援を求め日本に出向き、中国南の海南島にて訓練を受け、日本軍と共にビルマに上陸、イギリスに勝利してビルマの独立を果たします。その時の日本陸軍の大佐鈴木敬司氏はビルマ人の恩人となりました。その後、日本軍はインパール作戦に失敗。撤退するときのお話がビルマの竪琴です。その際アウンサン将軍はビルマ独立をイギリスと約束しイギリス側に寝返っています。
<カレン族と欧米の民主支援支援>
その後1948年、ビルマはイギリスから独立し、ビルマ社会主義軍事政権を打ちたてます。独立初期はイギリスの介添えもあり、カレン族などの少数民族が政府に一部入っていたのですが、その後、失脚させられた上、政府軍はカレン族を攻撃、それに対抗すべく、カレン民族解放軍を結成、独立運動に入ります。それが今につながる欧米メディアのカレン族報道と民主運動家の流れです。
1962年にネウィンが政権を握り独裁、そして、1988年には、民主化運動8888運動が起こりますが、その際にもカレン族に政府軍が攻撃、10万とも20万とも言われるタイに逃れる難民を生み出します。その難民たちの一部はイギリスやアメリカにも逃れ、民主化運動を指導しているとも言われています。
<日本とミャンマー>
日本は戦時中にビルマ軍を作り、結局は、その軍が今も政権をずっと握っていることになります。その中でもネウィン将軍は日本にも来た親日派。ビルマ人自身も親日です。そのため、日本は欧米とは異なる対応をしていてきました。外務省のサイトを見ればわかりますが、政府間の交流は今でも活発です。ビルマとミャンマーの呼称も、現地語で2つ呼び方が違うだけのもので、ミャンマーはより強いイメージを表すものだそうです。それは、軍事政権が勝手に変えたもですが、欧米は一部を除いてBurmaのままですが、日本のマスコミは一部を除いてミャンマーに変えています。このことからも目立たないですが、欧米とは明らかに異なる日本の対応が見え隠れします。
グーグルを検索しても、ミャンマー+カレンでは2件しか日本語のニュースが出てきません。一方で英語では123件出てきます。
<アウンサンスーチー>
スーチーさんは民主化の象徴として有名です。ただ、彼女の経歴は、オックスフォード大学出身、夫はイギリス人(すでにな亡くなっていますが)、母はイギリスにいると言われています。経歴だけ見ると、往年のイギリス帝国のインドの官僚やインド藩王の経歴にも見えます。日本にも2年滞在したこともあります。
欧米諸国は彼女が政権を握ると欧米寄りの国家が出来ると考えます。これは普通の考えでしょう。一方の日本は、彼女自身は日本に対しそれほどの好感はありませんが、父親アウンサン将軍はもちろん独立の父であり、鈴木大佐がビルマで軍事裁判にかけられたとき恩人を殺すのかと言って救っているほどの人ですから、非常に微妙な立場にあると思われます。
<中国>
中国にとってのミャンマーとの関係は比較的単純な経済的、戦略的な関係です。もちろん過去ビルマ社会主義は中国とも一線を画していましたが(なぜかユーゴスラビアとだけ国交があった)、現在はそれも関係なく、中国はミャンマーの軍事政権最大の援助国となっています。その目的は、ひとつにはインド洋への海港の獲得です。中国のニュースには緬甸(中国語ミャンマー)と調べると海軍がミャンマーからインド洋で出たと書いてあります。中国の大敵インドを防ぎアラブ、アフリカまでの海洋ルートの確保が狙いです。
さらに最近は、東南アジアのベトナム、フィリピンなどと南沙諸島を廻る争いが耐えません。東南アジアを一体化させないためにも、楔を打つ必要があります。
また、ミャンマーと中国との間は長い国境線があります。そのほとんどは雲南省で端麗などの街に通関があり、国境を越えることも出来ます。Youtubeなどに投稿もあります。その国境を越えた街に、多くの中国人が移住しているという話もあります。また、中国では違法の賭博をミャンマー側で行っているという話もあります。
軍事政権の下、欧米が支援しなかったミャンマーに、今やもっとも投資をしているのは中国です。
<選挙>
今回選挙で結局軍事政権側の政党が圧倒しました。カレンでは今でも紛争が続いています。民主化運動は欧米ではますます活発化しています。これからも、予断を許さないビルマ情勢です。